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【特集 ①】最高潮ハーレー 2007年までの取組み(上)  編集長・鈴木メモ

【特集 ①】最高潮ハーレー 2007年までの取組み(上)  編集長・鈴木メモ

2022.03.01

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【特集 ①】最高潮ハーレー 2007年までの取組み(上)  編集長・鈴木メモ

1995年10月より私は、ハーレーダビッドソンジャパン(HDJ)を率いていた当時の奥井俊史・社長(元社長)と取材での長い間関わりが始まった。当時HDJの販売台数は年間で約4700台、その頃の奥井氏の施策は、将来の販売拡大のために、主に社内体制やディーラーでの販売体制の基礎固めに取り組んでいたと記憶する。それまで私は、少なからず経営戦略や販売促進などを含めたマーケティング分野をかじった経験もあり、奥井氏が次に何を考え、どんな施策を打ち出し、何を行うのかに興味津々で取材していた。

 

2008年まで奥井氏が率いたHDJは、日本の巨大メーカーをも圧倒する日本市場で昨年の2倍以上におよぶ約1万6000台を販売した。この販売台数は米ハーレーの輸出国ではカナダを抜いてナンバーワンであった。日本でも751㏄以上の市場ではトップメーカーとなった。

 

時代は変わっても、経営の基本や販売の基本は大きく変わることはない。変わるのは、基礎の上のその時々、時代に合わせた戦術といえるだろう。以下はHDJが最高に上り詰める1年前まで、私が奥井氏を取材してきた「経営方針・姿勢、発言」「販売体制関連」「販促施策」などについてのメモを、シリーズ3回にわたって公開していく。

 

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