「販売にマジック無し」の内容についてもいろいろな形で具体化していった。おそらく他のメーカーと一線を画したのは、後から販売店との間で「言った・言わなかった」の下らない言い合いを防ぐために、私は勿論各部門が年5回の販売店会議で話す内容をすべて文書化し、テキスト化して当日語り、聞かせていた内容を持って帰ってもらうことを継続して実践したことであろう。このことで営業担当であるフィールドマン(地区担当員)の業務はかなり実践度が高まり、効率化できたと思っている。
その内容に従ってフィールドマンが自在に現場で販売店をフォローしたのである。このことで販売店の店頭状況は他社よりかなり進んで改善されていったと自負している。「三現」(現地・現物・現状)が改善された店頭を、実現・維持していった。LOOKが良く、いろいろなライダーにとって好ましいSOUNDの有る、感覚的に好ましいFEELの存在する、店舗・店頭造りに集約していった。それは最終的にはストアーデザインショップとして、他社には存在しなかった顧客が満足を感じられる、ブランドをフルに打ち出した高質な店舗・店頭を実現したのである。
このことでハーレーショップは決定的に他メーカーの店舗と差別化できたのである。こののち国産大手に始まって国産各社でも店舗改装が進んだが、ハーレーショップほど基本コンセプトが明確でもなく、また新しい店舗・店頭に必要なアクセサリーパーツやライフスタイルグッズもそろっていなかったので、とても店舗を起点とする新しいマーケティングの展開にまでに及んだとは言えそうにないようであった。
■奥井俊史氏のプロフィール
大学卒業後、トヨタ自動車に入社。主に途上国の輸出に携わり、1990年ハーレーダビッドソンジャパン代表取締役に就任。就任当初、全盛期の6分の1までに縮小していた国内オートバイ市場にあって「イベントマーケティング」や「独自のCRMシステムの構築・活用」など、さまざまな施策を考案。ハーレーは「パーツが無い」「壊れる」といった従来のイメージを大きく変え、モノではなく価値を売る営業改革を実行。2000年には751CC以上、2003年では401CC以上のオートバイ販売台数でトップシェアを記録。巨人企業を退け日本国内でハーレーの不動の地位を築いた。オートバイの規制撤廃実現にも貢献し就任中は19年間連続成長を達成。