今年3月15日、ヤマハ発動機の国内販社であるヤマハ発動機販売の代表取締役社長に、松岡大司氏が就任した。オートバイ流通新聞では組織運営においては、代表者の経験や人柄、人生観、仕事観などに大きく関わるものと考える。松岡社長にこれまでの経験、仕事での経歴、教訓、仕事観、リーダーシップなどの考えについて取材した。(取材:鈴木香)
――10代の頃の記憶として、少年期、青年期はどの様なことに興味を持っていたのでしょうか。
「学生時代はバイクにも乗っていませんでした。実はバイクに乗りはじめたのは社会人としてヤマハ発動機に入社した後です。いま思うともっと早い時期からバイクに乗っていればよかったと思っています。また、学生時代は経済学部を卒業しましたが、もっとしっかり勉強しておけばよかったと思います」
「当時、お金をためて小笠原諸島や沖縄の慶良間諸島など、自然の豊かな場所への旅行に興味を持っていました。以前から好奇心は旺盛な方で、意外に新しいもの好きだったりもして、いろいろやってみたいというタイプであったと思います。ただ、学生時代に二輪免許は取ったものの、残念ながら当時は趣味の中にバイクは入っていませんでした」
「バイクに乗らなかったのは、三ない運動の影響を受けた両親がバイクに乗ることに賛成ではなかったことが理由に挙げられます。ですから両親にヤマハ発動機に入社が決まったことを報告した時、母親から『なんで!』と言われたことは今も鮮明に覚えています」
「当時は旅行が好きで、海外で仕事をしてみたいという思いがあり、海外への漠然とした憧れがありました。また、就職活動中に出会った人達の中に、バイクやボートをはじめとしたレジャーや遊び好きが多く、彼らのような生き生きとした人達と働いてみたいと思ったのも入社の決め手でした。『よく遊び、よく働く』と言う意味では楽しそうな会社だと思いました。そうした社風がヤマハ発動機にはありました。働いている人達もヤマハ好きが多いですね」
――学生時代に学んだ経済学からすると、モノづくりメーカーのヤマハ発動機は方向性が異なりますが。
「出身地が岐阜で中部圏・愛知県という地域にモノづくりの会社が多く、モノを生みだすという会社に魅力を感じていました。モノを世の中に届けることに携わりたいと思い、そうした時にヤマハ発動機に縁があったということです」
「入社したら実際にバイク好きの社員の方が多く、バイクの乗り方も教えてもらい楽しくなりました。旅好きでもあったので北海道ツーリングに行きたかったのですが、社会人になってから行く機会をつくることは難しく『学生の頃にもっとバイクに接する時間を作っておけば』と後悔しましたね」
――子供の頃に両親から絶えず言い聞かされた事柄は、成人となってもそのことを意識し、自身に根づいているものです。言い聞かされたことについて、何か覚えていることはありますか。
「小学生の低学年の頃は『落ち着きがない』とよく言われましたが、あるところで急に冷めた時期がありました。自分で思う性格では、昔は飽きっぽかったのですが、年齢を重ねると共に色々と試す中で次第に好きなものが見えてきたことから、物事が長続きするようになったと思います。その一つがバイクなのでしょう。緻密に計画を立てて行動するよりも、7割ほどの形が見えてきたら走りだすことを意識しています」
――1998年4月にヤマハ発動機に入社後の経歴は。
「部品用品の卸部門に3年半、それからヤマハ発動機販売の営業企画部門を1年間経験し、その後本社に移り事業企画部門に就き4年半、その後はベトナム、インド、ブラジルでモーターサイクルの営業企画とマーケティングを担当してきました」
「部品用品の卸の時は、新人で何も知らない状態からのスタートで、販売店にいろんなことを教えてもらい、さらにバイクへの興味が深まりました。本社に移動したときはモーターサイクル企画部門で、予算や中期計画の取りまとめなどの仕事をさせてもらいました。初めて財務表の読み方も勉強もしましたね。体系立てて学ぶために、経済学やマーケティングなどのビジネス書を改めて読み返しました」
――20代での仕事の経験や考え、上司や先輩からの教えはその後の仕事の基礎になることが多い?
「先にも挙げました、体系立ててものを考えること、PDCAの重要性を教えられました。その後30歳過ぎからは海外の駐在を長く経験。新興国ばかりでしたが仕事は基本的にマーケティング分野に携わり、ヤマハブランドをいかに広めるかに注力してきました」
「インドでは当時スクーターが女性や家族の移動手段として平日休日を問わず利用され需要が伸びていました。ただ、ヤマハは当時スクーターを導入しておらず、着任して2年目にスクーターの商品導入に注力しました。当時のインドではまだデジタルやネットが普及しておらず、多くのお客様の情報源はテレビや新聞、雑誌が中心でした。しかし、テレビのCM放送は高額でしかもスクーターの実売につながるとは限りません。そのため店頭やイベント会場で車両に触れてもらったり、試乗してもらうことでヤマハの良さを知ってもらう活動を一から企画し、実行する一連の取組みをインドで初めて経験させてもらいました」
――日本とは異なり、異国の市場や文化、ユーザーの意識を知ることは大変ですね。
「私は幸い、新しいことや初めていくところで、一から勉強していくことが自分に合っていると思います。こうした経験が今の自分の仕事のベースになっているのでしょう」
――ブラジルでの経験は。インド市場とはまた異なるのでは。
「ブラジルではモーターサイクル部門の営業役員として着任。現地社員はいたってオープンな性格で、ヤマハ好きのスタッフが多く大変仕事がしやすい印象です」
「特にブラジルはオープンな社風で、忌憚のない議論が活発でした。また彼らの国民性からか、物事へのスピード感やパワー、情熱は非常に強いものを感じました。こうした良い関係性や特徴を仕事にうまく結びつけた時はものすごい力を発揮するので、目標を立てて社内で皆が納得した上で仕事を進めていくことが極めて大事でした」
「市場が異なればお客様の生活や意識も異なり、地域特性に合わせた戦略が必要になります。商品だけでは売れませんし、販売店政策だけでもありません。市場によって成熟の度合は異なるものの、基本的なプロセスは一緒ではないかと思います」
――海外での得た教訓を上げるとすると、どの様な事柄でしょうか。
「スピード感を大事にしています。世の中が変化しその変化に対応していくことに重点を置いています。スピード感を出そうとすると方針や考え方をシンプルにすることが大事です」
「今の私達の会社では商品一つとっても、あれもこれもと考えることが難しく、優先度をつけてヤマハらしい領域をいかに具現化していくのかとなります。物事をシンプルにし、しっかり狙いを定めて取り組むことを意識しています。ただ、皆の受け止め方にズレが生じると効率的に物事が進まないので、皆が同レベルで戦略などを共有して目標に向かうようにしたいと思っています。これは自分自身にもいつも問いかけていることです」
「基本的には目的、目標を明確にすることが重要でしょう。しっかり役割分担をして、担当者に任せていきたいと思います。私自身、ことばにするのがあまり得意とは言えませんが、明確にことばにしなければうまく伝えられませんので意識して取り組んでいきます」
「また、社内では常識として行われてきたことでも、世間では非常識な場合もあったりします。固定概念にとらわれずに改善していきたいと思います」
――経営者には物事に対し、成功するまでやり続ける者と、途中でも即見切りをつける者がいますが、自身のタイプは?
「経営としての経験がまだまだ足りないので即答できませんが、しっかりと経営の基礎を学びながら、スピード感を持って取り組みます」
――経営を学ぶことについては、各種ビジネス書も多いが、どの様な書物を読まれるのか。
「最近では新書よりも以前手に入れた書籍を読み返すようにしています。思い浮かぶのはピーター・F・ドラッカーの『現代の経営』、『マネジメント』などが挙げられます。学生時代に教授に薦められたものです。その時々で過去の書籍を読み返すことで同じ書籍であっても新たな発見がありますね。組織のトップになったことでまた読み返すつもりです」
――自身で思う長所と短所を挙げるとすると、どの様な事柄でしょうか。
「私は失敗をあまり恥ずかしがらない性格だと思っています。失敗するともちろん気分は落ち込みますが、そこから何かを学ぶ方へと考えます。言い換えると、前向きで素直であるというところでしょうかね。前向きなので、あえて短所は挙げないようにします」
「ベトナムは初めての海外駐在で張り切っていたのですが、最初の3年間はプライドの高さも邪魔してか、失敗するのが怖くて、頭の中だけで考えてばかりで行動が伴いませんでした。しかし、ある時に当時の上司が異動となり、残されたメンバーでやるしかない環境に変わったときに、自分から行動するようになりました。それからは、失敗してもとにかくやってみて、だめならそこで学べば良いと考えるようになりました。仕事への向き合い方が大きく変わったと思います。失敗したら素直に謝り、そこから次の一手を考える。いま思うと良い経験をしました」
「ですから皆さんも失敗を恐れず行動してほしいと思います。ただし、しっかりと目的と計画を立てた上での失敗は学びを得られますが、やりっぱなしには注意が必要です」
――組織運営で大事であると考えることは?
「目標をぶらさず、部署ごとに役割・権限・責任を決めて任せていくことが大切だと思います。そして横の連携を高めて、チーム経営に努めたいと思っています」